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無限論の教室 ゲーデル、亀から逃げるんだ!

無限論の教室 (講談社現代新書)無限論の教室 (講談社現代新書)
(1998/09)
野矢 茂樹

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断っておくが、自分は数学については素人もいいところである。
バイトで講師の真似事などしてたりもするが高校数学……いわゆる古典数学くらいまでの理解しかない。
あとは微積・線形代数をかじったくらいで、それらすら数値解析の道具程度にしか把握できていない。だから数学者の知人と話すと工学系との数学の認識のギャップが分かって面白い。

で、この本は、哲学者である著者が「無限」について講義形式で語ったものである。

ド素人ではあり、間違っているかもしれないが噛み砕いていろいろ考えてみました……

さて、この本では「実無限」と「可能無限」を主題にし、そこからラッセルのパラドックスへと言及し、カントールの対角線論法、排中律へと発展しゲーデルの不完全性定理に帰結する。

ということだがぶっちゃけ「実無限」と「可能無限」が何か知らんし、カントールの対角線論法も知らぬ。
ラッセルのパラドックスやゲーデルの不完全性定理については齧ったことがあるが……程度の人間がChallengeしてみました。

「実無限」ってのは現在数学・物理分野において採用されている概念で、無意識のうちに学校で数学習った人ならみんなこの考え方になっている。とりあえず、なんだかパネェ量があって数え切れないけど、ズバッと決まってるんだよね、これ! って立場だ。人間は数え切れないけど神様は無限全体を把握できてるんですよ、的な。

「可能無限」っていうのはとりあえず終わりのないわんこそば大会みたいなものと考えればいい。食っても食っても追加される。やべえ、お腹いっぱい……ってギブアップしてしまうのが人間の限界で、もし俺の胃袋は宇宙だという状態ならば次の一杯が追加されていくという操作は限りが無いだろうというものだ。よって無限というものの全体像は把握できない。

もしも可能無限が正しいのであれば有理数か無理数かが判別できなかったりする。
小数点以下の位を追加していくという作業が終わらない以上、循環小数かどうかなんてわからんのです。
それが実無限だとあら不思議。神様が出てきて「これは循環小数です」って教えてくれるので無理数か有理数か一発解決できちゃうのです。すばらしい。ブラボー。

だがしかし、と本書のタジマ先生はのたまいます。
実無限の考え方でいうと、自然数を書き尽くすことが出来てしまうというのです。
ああ、それはいけない!
アキレスと亀の例でそのことを示していますが、実は多少このやり方には疑問がありまして。

数学的観念と現実の行動をミックスさせるという考え方はやってしまっていいのだろうか?

あくまでも数学は記号だ。記号について述べることはできても、現実の行動とドッキングさせることはできないのではないだろうか。数学は「一般化」されたものだが、現実は「具現化」されたものだ。ああもう自分で言っててわけわかしまずだが、現実の条件下において数学的現象を考察できないんじゃないかと思う。
住んでる世界が違うというかなんというか。言語が違うというかなんというか。

だから実無限は矛盾するんじゃないかな。だって実無限は数学も無矛盾性を回避するために受け入れられてきた概念で、結局は「数学的には無矛盾と思われる無限」に過ぎない。
だから現実にそれをあてはめてみると綻びが出るのは当然ではないだろうか。

本書においてタジマ先生は「可能無限」の立場を取っている。そこからカントールの対角線論法の間違いを指摘したりしているが、「可能無限」というものは無限というものを把握しきれない人間が生み出した妥協案であることは実無限と変わりが無いと思われる。ただ単に操作・作業に名前を付けただけで、無限そのものを言及できないことでは同じというか、そもそも可能無限は無限というものから逃げている感じもする。
無限全体に名前を付けるか、無限へと至る操作に名前をつけるかの違いでしかない。ような、気も。するのら。

さて、ラッセルのパラドクスから先の議論はこの本ではかなり流れがつかみにくい。
ラッセルのパラドクス→排中律の否定→ヒルベルトの反撃→ゲーデルのツッコミ
というのが流れだが、なんというか、面倒くさい流れになっているのだ。
これは本書がタジマ先生を含む3人の会話・講義というスタイルになっているからだと思う。
さらに、言葉もわかりにくい。数論に馴染みのない読者のために平易な一般的な言葉を使っているのだろうがそれがむしろ分かりにくく感じるのである。

まあもともとここらへんの話はなんだか煙に巻くような議論が続くのでさらっと流し読みしてしまうとわけわかしまずになってしまうだろう。

なるほど、確かに本書はわかりやすい。無限という概念を述べた後に一般的無限観の危うさを指摘し、その危うさを解説していく。そして現在構築されている無限集合論の足場の危うさを説明するのだが……

でもなんだか……この本全体が胡散臭く感じるのはなぜだろう。
確かに個々の議論は問題ない。しかし、前提というかなんというか……
ゲーデルの不完全性定理へと至る歴史を述べるだけならばまったく問題ないのだろうが、筆者の主観、解釈、持論がサンドイッチされていくため全体的に胡散臭い議論になってしまっているのだろうか……

少し興味が出たので無限集合論についても何冊か本を読んでみようかと思ったり。

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